血液型や星座占いといった話にはまるで興味なく否定するわりに、出身地や出身校、兄弟の順番などで人を判断するタイプの人っていますよね。
そのような人たちの根底には、どういう思想があるのでしょうか。
出身地で相手の人柄を語る人
確かにその土地の気風、お土地柄のようなもの、学校ならそれぞれの校風といったものは存在します。しかしながら 、何百人、何千人、数万人という人口の中にはいろいろな人物がいて当然です。自分で変えようもない事柄で決めつけられるのも困ったものです。
出身地や出身校、兄弟の順番といったものは、どれも話のタネにしやすく、話題を広げやすいので、上手く活用すれば、相手との距離を縮める、コミュニケーション手段としてとても有効です。
ところが、その有効な手段も、決めつけをしてしまうことで、相手と親しくなるどころか、距離を近づけない態度となってしまうのです。
人付き合いが苦手!?
こういった決めつけをしてしまう人は総じて「他人の言動を、自分のわかる範囲にラベリングして閉じ込めてしまいたい」という意識が働いています。
それが、この場合の出身地や出身校なのです。なぜそんなラベリングをしてしまうのでしょうか?
わけのわからない、自分では理解できない存在を認めない、もしくは恐れすら感じているのかも。実は、人付き合いが苦手なタイプなのかもしれません。
「なんでこんな行動をとるのかな?」→「ああ〇〇の出身なのか」→「〇〇はああいう気質の人間だからしょうがない」
と、謎な人間の行動をラベリングすることで無理やり納得したいのですね。ですから、自分が嫌っている人間と出身地や出身校、兄弟の順番まで同じだったりした日には、立ち直れないかもしれません。
このようなタイプの人は、もう少し柔軟で幅広い見方ができるようになっておくべきかもしれません。
やたらとお金の話ばかりする人
「この家、立派だなぁ。億はいってるな」「いい服だね。いくらするの?」
「この仕事するなら〇万円は貰わなくちゃな」「うまいけど、この店この値段でやっていけるのか」
どんな会話にもお金の話が入ってくる人がいる。もちろんお金に興味のある人、夢中になっている人がこのタイプ。何か経営していたり、投資をしていたり、現実的な商売人気質だと言えるでしょう。お金のセンスがない人には商売が成り立っていかないので、当然と言えば当然です。
マネーリテラシーは現代人としてもっと身につけていくべきものではあるのですが。
「お金が全て」故に不安がつきまとう
「お金があればなんでもできる。世の中、金だ。」
お金だけに価値観を置いている人は、全ての価値基準がお金にあります。それは裏を返すと、お金がなかったら自分も見捨てられてしまうという不安を抱えているということです。自分自身が「金の切れ目が縁の切れ目」だと思っているのですから。
もし、こういう人が経営をするならば、傍に大きな夢を語れる人がいると、会社を大きく育てられるかもしれません。
お金しか見えていないと、経済は回していくもの、その大きな流れや世の中、大衆の動向といったものを読み違えてしまう恐れがあるからです。
お金はどれだけ貯めても不安は収まりません。あればあったで不安があります。お金に囚われ過ぎると、常に不安を抱えることになってしまいます。
まとめ
総じて、人をカテゴライズする、ラベリングするという行為は、軋轢を生む要因になってしまいがちです。
しかし、実際人はそういう話が大好きですし、そういう会話が人間関係の潤滑油となることもあります。
そして多かれ少なかれ、誰だってどこかで、そういう区別をして人を見ていることも否めないところです。「決めつけは良くない」と言った時点で、その人も「決めつけをしている人がいる」と決めつけているのです。
そういうことを前提に踏まえた上で、どう生きていけばいいのかというと、詰まるところは「そういう人もいる」「私はこういう人かも」と、相手のことも自分のことも優しく理解してあげて、やり過ごすしかありません。
触らぬ神に祟りなし。やはり付き合いたくないなと思う人とは距離をとるのが正解です。
人を分析するのもいいですが、同時に自分も正しく分析して、ストレスのない暮らしをしていくことが肝要です。
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